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失敗するならハンドラーが

たとえば競技会中に犬が脚側から離れてしまうことってありますね。

「あ~っ、行っちゃった」という状態です。

で、そんな時は普通あわてて呼び戻します。
一度で来なければ何度も、そしてだんだん強く、呼び戻します。

これ、みんな犬の失敗だと思うわけです。

犬に失敗を経験させてしまった状態です。

脳の記憶のメカニズムから言って、失敗を経験することのダメージは非常に大きいです。
失敗の記憶が脳に残ってしまうから、次回も成功の記憶以上に印象的だった失敗の記憶が呼び覚まされてしまうからです。

あなたがもし車でどこかに行こうとしてさんざん道に迷ったら、おそらくあなたの脳にも間違えた道の記憶がたっぷり刻み込まれてしまうでしょう。
次に同じ場所に行くときも。間違えた道の記憶がじゃまをして、なかなか正しい道を思い出すことができなくなるはずです。
で、また道を間違える。
さらに正しくない記憶が蓄積されていく。
あなたの頭の中には正しい記憶が5%と間違えている記憶が95%残ります。
再チャレンジしても、「あ、この道覚えている」、「この曲がり角には記憶がある」という情報がほとんど道に迷っている最中の記憶なのです。
これではとてもじゃないけど、遠回りせずに正しい道で目的地にたどり着くことはできないでしょう。

だから犬に失敗を経験させてはいけないんです。
犬に失敗の記憶を残せば、その印象で正しい判断ができなくなるからです。

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さて、冒頭の「競技会中に犬が脚側から離れてしまう」ようなケースでは、もはや減点なしでやり過ごすことはできません。
しかし犬に失敗をさせるのではなく、ハンドラーが減点覚悟の失敗をすることで、犬には失敗を経験させずに済む道があるのです。

たとえば犬が離れてしまう前にダブルコマンドを用いる、なんていうのもそうです。

たとえば犬が離れてしまう瞬間に「オッケー!」と開放してしまう、なんていうのも大胆ですが犬に失敗を経験させないという点で有効です。

犬自身に失敗させないためにハンドラーが失敗をする。

人間は犬よりずっと楽に失敗を修正できますから、世間体も忘れ、減点も覚悟の上で、自らの失敗を恐れず、犬の成功を持続させるように努めましょう。
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犬の自発性を引き出すべし

考えれば考えるほど、犬のトレーニングは犬自身の自発性を最優先したプログラムを用いることが好ましいと思えてきます。

社会化も含めて犬のトレーニングにはいろいろな方法や理論がありますが、人道的で効果的な方法を突き詰めていくと、すべて犬の自発性によって学習してもらうことが最良であるという結論に達します。

たとえば脱感作と逆条件付け。
脱感作は徐々に馴らしていくということですが、あくまでも犬自身の気持ちを優先して決して強制的なことをせず、自分で慣れていってもらうプロセスを踏まえます。
逆条件付けはキライにスキをぶつけるカウンターパンチ。人間が介入し強引にならす方法です。強引ですから副作用や反作用が生じる危険があります。

プロンプトを用いて新しいことを教えようとする場合、ここでも人間の介入があり、犬の自発性が損なわれます。
リードによる身体的なコントロール、フードによる誘導、どちらも真に自発的な行動とはいえず、したがって副作用と学習の遅れが懸念されます。

これらの考え方は、なによりもイヌは自発的にはヒトの望むことなどしてくれないという先入観によって成り立っている気がします。

15000年前から始まったヒトとの暮らし。
その進化の過程でイヌはデザインも性格も変えてきました。
それはすべてヒトに気に入られるためです。

そんなイヌたちですから、答えさえ分かればヒトに求められることを学習しようとしているはずです。
服従ではなく共生、その理由がここにあります。

イヌは学ぼうとしています。
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学習を妨げているのはハンドラーの(犬を信用しない)介入であり、フィードバックをおろそかにしているじゃまいかを代表としたあいまいな態度なのです。


犬に何かを教えたいのなら、

・まず何をしてほしいか上手に伝え
・それから自分で考えてやってもらい
・間違っていたら違うと伝え
・正しかったらその行動を繰り返す動機を与える


それだけだと思います。

フリースタイルの勘どころ

先日のPAWFECTファンマッチで、ジャッジ席から参加者の演技を見させていただき、招待したWCFO創設者のパティが参加者の演技をどう捉えているかも参考にしながら、フリースタイルの勘どころのようなものを自分なりに考えてみました。

まずこの競技は、かなりボールルームのソシアルダンスやアイススケートの、特にアイスダンスのコンセプトを踏襲しているということ。
ということはアーティスティックポイントの比重が高いということです。
そしてアーティスティックポイントは、服装から始まり、演技者の表情まで重要な評価基準になっているということです。
ですから誘導の手や、コマンド然とした声掛けは全然アーティスティックではなく、良い印象を与えないということを意識する必要があります。

違う言い方をするならば、「犬好きでない人にもきれいに見える」ということが大事なんです。
犬を飼っている人だけがその難しさがわかるというテクニックはあまり評価されません。ましてそれが不完全なものなら、演技に取り入れない方がよいくらいです。


アーティスティックポイントが重要ならば、トリックの難易度を追いすぎないこと。
それよりも完成度を高める方が全然重要です。
未完成なトリックの連発はたくさんの失敗を見せつけているようなものだと思いました。
アーティスティックポイントが重要ならば、一つ一つのトリック以上に、そのつなぎ(トランジション)を大事にすべし、ということ。
トランジションは見せ場となるトリックではないので後回しにされがちですが、流れるような美しさを演出できるのはトランジションあればこそですから、ここは大事にするべきですね。

アーティスティックポイントが重要ならば、誘導は練習中から使わないこと。
誘導というプロンプトは3回以上使えばキューになってしまいますから、引き上げが極めて困難になります。
キューになってもそれを振り付けにもっていけば何とかごまかせると思いがちですが、結局その行動をさせるときにはある一定の法則で手や体を動かさなければならなくなるので、ハンドラーの動きに制約が出てきてしまいます。
穏やかで静かなヴァーバルキューで全ての行動をさせられるようにしておくことが、いろいろな意味で大事だと思いました。


テレビでフィギュアスケートを見ていると、みんな素晴らしい演技なのに、上位に入る人には何か感動を与える雰囲気が感じられ、敗れてしまう人にはそんな雰囲気の弱さを感じます。オーラがないというか・・・・。

人と犬との信頼感がそのペアの自信としてオーラを発するのでしょうか。
フリースタイルで好成績を出すコツが、トリックの難易度やその数でないことだけは確かです。

良い犬は自信を持っている

来年1月からオンエアされるCATVの番組制作をお手伝いすることになりました。
J-COMで配信されるインフォマーシャルですが、その中でトレーニングについて少しずつご紹介していく予定です。

で、話の中で「良い犬とは?」というテーマが出たのでお話したのですが、良い犬とはずばり「自信を持った犬」、ということも言えるのではないかと思っています。
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逆にいえば自信のない犬は、守ることに必死です。
自分を守る。食べ物を守る、空間を守る、自分の資源の源である飼い主を守る、そして生活の習慣を守ろうとします。
つまりいつもびくびくしていて、いつも防御の攻撃性を帯びていて、心に余裕がありません。

ではどうすれば犬に自信をつけさせることができるのでしょうか。

ここで間違えてはいけないのは、闘犬のような、野生の攻撃性で自信をつけさせるわけではないということです。
「うちの犬は強い」なんていうのは愚の骨頂です。

そうではなくて、犬の自己解決能力を高めるということなんです。

あらゆる状況に自分で対処できる力を育ててあげることで自信を持てるようになると思います。
自己解決能力は体の健康で言うところの「自己免疫力」と似ています。過保護にすればどちらも低下していきます。失敗を経験しすぎるとあきらめるようになってしまいます。
良いサプリメントが免疫力を高めるように、行動のサプリメントによって自己解決能力を高めていきましょう。

それは例えば電信柱の向こうとこっちでリードが絡まった場合などに、人が絡みをほどかないようにすることから始まります。
じっと待ってあげて、リードの絡みを自分でほどけるよう、導いていきます。
あるいはおもちゃを隠し、自分で発見させることでも自信は付いてきます。最初から難易度をあげすぎないこと。ヒントを出しすぎないこと。ギブアップを経験させないこと。発見したことを一緒に喜ぶこと、などから犬の自信は育めると思います。


それから人との生活の中で、犬が理解できない叱り方をするのは自信を喪失させる大きな原因になります。
人が一貫した、ブレないルールによって犬と接していれば、犬にはして良いことといけないこと、というルールがクリアに理解できるようになります。
そしてルールを理解した犬は自信を持って人と暮らせるようになります。

それがおそらく良い犬(穏やかな家庭犬)の育て方だと思います。

もし、私たちが気まぐれにほめたり叱ったり・・・・、たとえばあるときは吠えられておやつをあげてしまったり、ある時は吠えたことを叱ったりしていたら犬にはルールがわからないと思います。すると、人と接する時にはいつも顔色をうかがいながらビクビクしていなければならなくなります。
あるいは何かをすることをあきらめて、じっとして余生を過ごそうと思ってしまうかもしれません。

生き生きとした眼、何かを期待するうれしそうな笑顔で、しかし穏やかに人のそばにいる犬が最高です。
人が盛り上がれば一緒にテンションをあげられ、人が静かにしていると空気を読んで休んでくれる。
犬を苦手と思う犬に会えば、上手なシグナルを出して相手をリラックスさせ、仲良く遊べる犬とは、時には激しい遊びも節度をもって楽しめる。

人と暮らす中で本当に自信を持った犬というのはそんな感じだと思います。

やっぱりじゃまいかの禁止

本当に、つくづく、トレーニングの壁はじゃまいかにあると思います。
高度なことを目指しているなら、「じゃまいかの禁止」もますます精度を上げなければなりません。

たとえばヒールポジション。
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10度程度のブレを「まぁいいか」と思えば、犬にはなかなか本当の正解は分かりません。
仮に、かっちり10度までならOK,それを1度でも超えたらだめ、と厳格に決めてあるのなら、それはじゃまいかではないし、繰り返し練習していれば犬にも境界線がわかるでしょう。

でもハンドラー自身の基準にブレが出るようなら、犬にとってはあるときはOK,あるときはだめ、というルールを最後まで理解できないと思います。
ほどほど、とか、さじ加減というような概念は犬には通じないということです。

そんな場合、きっと犬は「今日のルール」、「今のルール」を探り続けなければならないんでしょう。

「じゃまいか」はいろいろなところに潜んでいます。
人間の弱点である「じゃまいか」を極力排除することで、どれだけ犬のストレスが軽減できるかを考えると、やっぱりここは頑張らないとなぁと思います。

甥っ子Mおめでとう

このBlogは犬のことが記事の中心ですが、今日は特別。

今日、甥っ子のMが結婚したんです。
ついこの前までちっちゃかった(気がしている)のに、いつの間にか立派な大人になって、そして今日(日が変わって昨日)、素敵なパートナーと結ばれました。

甥っ子Mが生まれたとき、父親である私の兄が戸惑いながら「今日生まれた」と教えてくれたのは、私の誕生日。
私と同じ魚座O型で、誕生日が同じと聞き、この時はうれしかった半面、彼の将来を案じてしまいました。

「大丈夫かなぁ。あと1日遅ければ優秀な私の父、彼の祖父と同じ誕生日になったのに・・・」

そんな彼が立派に育って、今日を迎えました。
伯父という立場で結婚式に出るのは当然初めてのことで、身内だけれども気軽な立場で、楽しいパーティとおいしい食事を堪能させてもらいましたが、新郎の両親は終始複雑な心境の様子・・・。

「子供たちはいつか家を出て自分の家族を持つんだなぁ」としみじみ思いました。
そうやって人類は脈々と繁栄してきたんですものね。(大げさだ)

翻ってわが愛犬ルフトのことを考えてみれば、彼は終生私のもとにいることに、ちょっと安堵してみたり・・・・。

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犬の寿命が短いのは、その時になると極めてつらいわけですが、でもやっぱりちゃんと人がみとってあげられるよう出来ているんだなぁとも思ったりしました。

さて、兄夫婦の子供はMが今日結婚し家を出ました。そしてもう一人のNは遠くの大学に通うために一人暮らしをしています。
というわけでさびしくなること必至。
そこで犬を飼うことを勧めました。

実は私、普段は人に犬を飼うことを勧めないようにしています。
いろいろ大変だし命の責任も生まれるので、安易に勧めたくないのが最大の理由ですが、やはり命を私物化する以上、それなりの強い意志を持っていてほしいと思うからです。
そして飼う以上愛玩犬ではなくパートナーとしてとことん向き合ってほしいからです。

人の喜びって悲しみと背中合わせのことが多いと思います。
人類はずっと寂しさと戦ってきました。
だからこそ喜びの価値がわかり、幸せをかみしめることもできるのでしょうね。
今日の二人には長~く幸せを味わい続けて欲しいです。

もう一人の甥っ子Nが結婚するときには、私もかなりぐっと来るような気が今からしています。
うれしいけど寂しいなぁ・・・・。

犬の幸せ、人の幸せ

 ごく最新の科学によると、イヌはおそらくオオカミとも共通の祖先から派生してきた種だ。

 その祖先の中に好奇心が旺盛で、何かに驚いてても逃げる距離が短く、そして再びチャレンジするまでの時間が短い個体が居たと想像される。

 それはすなわち現在求められている良い犬の資質とおんなじだ。

 好奇心は知能アップの栄養源。フロンティアスピリットやパイオニアスピリットもそれがベースだと思う。

 イヌ科の中でひときわ好奇心旺盛だった祖先たちは、徐々に人間との共生の道を歩み始めた。時はまさにネアンデルタール人が滅びクロマニョン人が繁栄し始めたころ。(そういえば私はドイツに住んでいたころにネアン・デル・タールに行ったことがあるのを、いま思い出した)

 イヌの祖先たちはクロマニョン人と共生を始めた。
 ネアンデルタール人ではなかったのがなぜかは分からないが、もしかしたらネアンデルタール人はイヌとの共生を拒んだのかもしれない。

 その結果かどうかは定かではないがネアンデルタール人は絶滅し、私たちの祖先であるクロマニョン人が繁栄した。(これをイヌのおかげという科学者もいる)

 なぜイヌはヒトと暮らすことを選んだのだろう。
 科学的にも伝説にもいろいろな説がある。私が好きなのはアメリカ原住民の言い伝え。

 ともあれ現代の犬たちは世界中に20億頭ともいわれる繁栄をしている。
 ヒトと暮らすことを選ばなかったオオカミはわずか40万頭・・・。

 動物はみな種を残していくことに全知全能を注ぐ。

 よく「良い飼い主とは」という議論があちこちで巻き起こるが、科学者の視点からイヌの繁栄を考えたら答えは一目瞭然だ。

 いわく、
 「去勢避妊せず、今すぐイヌを解き放つべきだ」
 とこうなる。

 人間が操作している純血種は科学的にみれば絶滅危惧種に近い存在だ。自由に交配できるオスが500頭いない群れは統計的に絶滅に向かうそうだから。
 イヌ属の繁栄だけを考えればシリアスブリーダーも何もない。

 幸せ、という言葉を使うべきではないが、種としてイヌ達が望んでいるのは間違いなく繁殖だ。しかも自由な雑交配。

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 ルフトが本当に楽しそうにモネと遊んでいる。

 ルフトは去勢したオス。モネは避妊したメス。
 交配することはあり得ない。

 遊びはモーターパターンに根差した(将来に備えた)学習。
 ドーパミンがたくさん出る勉強だ。
 実行のない練習。

 イヌはヒトと暮らすことを選んだ。
 それはおもに捕食のため。

 ヒトがイヌを守るというパターンは本来無かった。
 イヌは番犬としてヒトを守ってきた。だからそばにいることを許された。

 そうするとイヌの幸せとは、人から食べ物を得て自由に外を歩き回り交配すること、となる。

 それはちょうど地球上の8割がそうであるというビレッジドッグの暮らし。
 平均寿命はすごく短い。現代のメキシコのビレッジドッグで2歳くらいとか。

 自由に外を歩き回る暮らしなら、道路に飛び出す血筋はすぐに淘汰される。
 ヒトに攻撃性を見せる犬も生き残れない。

 これは「良い飼い主」という定義からはだいぶ外れている。
 でも科学的な視点を持つということは、そんな角度からもイヌを考えることに他ならない。
 そうでなければどんな価値観もヒトのエゴになってしまう。
 
 要するに私たちはヒトの幸せのために本来のイヌの幸せをゆがめているという事実を知っておかなければならない。
 目の前にある生命尊重と、大きな視点での種の保存は矛盾しているから、そんなことも踏まえてヒトとして愛すべきイヌ達との共生と、お互いの幸せを考えていかなければならないのだろう。

感情の罠

人はとかく「自然に」という言葉に弱い。
いわく、
「犬は自然に育てたい」
「エサで釣るのは不自然」
「去勢避妊は自然に反する」

そして自分の犬にもつい「自然な」感情をぶつけてしまう。

たとえば「平等」。
多頭飼いの方に非常に多いが、1頭だけほめたりおやつをあげることに後ろめたさを感じ、1頭を呼んだら他の犬も来た場合に全ての犬におやつあげるようなケース。
他の犬が何かをもらっているのを愛犬が見ていると知ると、思わず自分の犬にもおやつをあげてしまうケース。

たとえば小言。
「何度言ったらわかるの」
「だめだってばぁ」
「フセじゃなくてオスワリ」
「お兄さんなんだから」
「みんなに笑われるでしょ」
etc.

たとえば困った行動の愛らしさに負けること。
無視するべき時にかわいがってしまう
叱るべき時に撫でてしまう

たとえば犬同士仲良く遊んでいるところを見たいから。
ドッグランに怖がっている愛犬を離す
「お友達~」と言いながら自分の犬をほかの犬に無理やり突き合わせる
喧嘩になっている犬を「犬同士のことだから」と放っておく

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人と暮らすことを選んだ愛すべき犬たちにとって、「本来の」「自然な」暮らしとは、人間に合わせて生きていくこと。
だからわからない言葉も必死で理解し、根拠のない罰も受けいれる。

過保護にすれば寄生度が高まり、ますます一人では生きていけない犬になる。
飼い主がいないのがたまらなく不安になる。
そんな犬をかわいいと思い、ますます過保護にする。

犬って生きていくのがたいへんです。
プライドもかなぐり捨てて飼い主に気に入られるよう努力しています。
意味不明な小言も一生懸命聞いています。

コミュニケーションのストレスを最小限にしてあげたいのなら、やはり私たちは相当に勉強しなければなりません。
そして感情垂れ流しのコミュニケーションは慎むべきです。

子供のころ親の仕事で海外に移住し、数年間言葉の通じないつらさを味わいました。
日本語の活字に飢え、図書館で手当たり次第に分厚い本を借りて読み漁りました。
外国語で誰かと話すより、日本語の本を読むほうが幸せでした。

犬もきっと人間と話すのは疲れるんだろうなぁ・・・。
ちゃんと犬語を話せる犬同士だとコミュニケーションも楽しいんだろうなぁ。
犬たちを見ているとつくづくそう思います。

愛玩犬

日本にはおよそ1200万頭、アメリカには6000万頭の犬が飼われているという。

一般的な犬の飼い方とは一体どんな感じなんだろう。

日本では「番犬(外飼い)」の時代から「愛玩犬(室内飼い)」の時代を経て、「パートナードッグ」という概念に犬との暮らし方が進化してきた。

動物愛護法に定められている「人と動物の共生」、それを表しているのがパートナードッグだ。
親子でも兄弟でもない、パートナー・・・。

犬にも尊敬の念を持ち、真の共生を目指す飼い主は一体どのくらいいるのだろう。

まだまだ地方に行けば「番犬」はたくさんいる。
そして残念ながらいまだにマジョリティは「愛玩犬」なんだと思う。

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愛玩犬とパートナードッグの決定的な違いはコミュニケーションの深さにある。

愛玩犬は文字通り「愛玩する犬」のことだ。
そしてペットという言葉も愛玩動物というニュアンスが濃い。

愛玩犬の飼い主はとても犬を愛している。
まめにトリミングに出し、素敵な洋服を着させるなど、だれにも負けないくらい愛している。

でも、そこにはぬいぐるみを愛玩することとの差異が余り感じられない。

・かわいがる、かわいそうに思う、という感情が100%人間側の気持ちで成り立っている
・種としてのイヌ族の繁栄、などという大きな視点では目の前の犬を見ていない
・相手への真のリスペクトがない
・自分が勉強してまで犬を真剣に理解しようとは思っていないため、占い的な動物コミュニケーションに
 頼りがち

つまり生命尊重も、動物愛護もその価値判断が自分という視点から離れていないのだ。

本当の気持ちを理解しようとしない「愛玩犬愛好家」に飼われている犬を見ると本当にさびしい。
理不尽に叱られることも、むやみに甘やかされることも犬を不幸にする。

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犬と暮らす本当の魅力は相互のコミュニケーションにあると思う。
外見や愛らしいしぐさはその魅力のほんの僅かに過ぎない。

犬を正しく育て、フェアで穏やかな、そして考えることのできるパートナーという存在になったとき、犬と暮らす喜びは最高のものとなる。

そんな犬と長年連れ添い、あ・うんの呼吸で空気を読みあえるようになったら、人だけではなく、間違えなく犬も幸せなはずだ。

一方通行の勘違いした愛情を受け、真のコミュニケーションをあきらめて、ただ飼い主に抱かれている小型犬を見るのは本当にさびしい。

「愛の奴隷」・・・・

できれば見たくない、悲しい犬たち。

現代フリースタイル考

PAWFECTのファンマッチイベントが無事終了しました。
ある意味で仕事のイベントより大変でしたが、参加された皆さんの笑顔とその素晴らしい演技を見せていただけただけでも、やりがいがありました。

私が初めてK9フリースタイルを体験したのは2001年のことでした。

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あれから8年余り。
いろいろなことが進化していて、今回参加していただいた方々のレベルもずいぶん上がっていました。

世界的にトレーニング方法も進歩しているし、K9フリースタイル自体の捉え方も進化しているようです。
徐々にアイスダンスなどのようなレベルまで上がっていくのでしょうね。

エントラントとしての自分には全く自信がないですが、これからどんどん出てくる新しい方々の活躍がとても楽しみです。
D.I.N.G.O.でもそしてPAWFECTでも、そういった方々をどんどん応援していきたいと思います。

PAWFECTファンマッチ

いよいよPAWFECT主催のファンマッチ開催日が迫ってきました。

委員一同準備に大わらわです。

PAWFECTはポーフェクトと読みます。
肉球のPAWと完全を意味するPERFECTを組み合わせた造語で、しいて言えば「完全なる肉球」といったところでしょうか。我ながら結構お気に入りのネーミングです。

フリースタイルは愛犬と何かをしたい方には本当にお勧めのアクティビティです。
老若男女、大きな犬、小さな犬。若い犬から老犬まで。
それぞれのペアでできることをすればいいと思います。
音楽に合わせて楽しむことが何より大事です。

でもそのためには愛犬との深いコミュニケーションが欠かせません。
結局しつけだろうがドッグスポーツだろうが、あるいは何もしない家庭件だろうが、ベースとなるコミュニケーションには何ら変わりはないからです。

今回のイベントはお仕事ではないので、自分でも運営を楽しむつもりですが、だからこそかえって大変です。仕事のイベントでは持ち出したことがないほどに大量の機材を持ち込みます。
少しでもよい音で音楽を流したい。

自然光の入る会場ですが、よりきれいに見えるようにできるだけ照明も入れたい。
控え室でも様子が見られるように専用のカメラとモニター画面をセットしたい。

記録のDVDもわざわざ群馬からプロのチームに来ていただき、2カメ体制で終日撮影してもらいます。
CATVの取材カメラも入るので、当日はもしかしたらビデオカメラだけで5台入るかもしれません。

そしてスチールカメラは業界の大御所、岩井猛さんにおねがいしました。
きっと素晴らしい写真を撮ってくれると思います。

今回WCFOの創設者であるパティ・ベンターさんを招いて日本初の公認競技も開催することになりました。
WCFOの公式な記録に記載され、ポイントが得られるのでエントラントも真剣になることでしょう。

一方でやっぱり楽しくなければということで順位をつけないエントリークラスと、その上のPAWFECTクラスも開催します。むしろどちらかといえばこちらがメインイベントです。

で、順位はつけませんが参加者の演技をジャッジが評価します。
この評価にはスパイダーチャートを導入しました。
クモの巣状のグラフによってご自身の得意と苦手の傾向が一目でわかるというチャートです。
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まだまだ実験的な試みなので完璧ではないと思いますが、委員たちは頑張って少しでも有意義なイベントにしようと日夜額に汗しています。

参加される皆さんが楽しんでもらえることを願っています。
そしてご興味のある方にはぜひPAWFECTに入会していただき、そして一緒にフリースタイルを健全に広めていくお手伝いをしていただければと思います。

エサで釣るとロクなことがない(誘導への警鐘)

ある意味、10年ほど前から「陽性強化」という呼び方のトレーニングを習ってきた方たちは、「誘導世代」と呼ぶべき独特なゾーンにいます。

オスワリと言いながら胸にこぶしを当てる方々をよく見かけますが、まさに「誘導世代」の特徴です。
おそらく相当苦労してこられたことと思います。

「誘導」は行動を引き出すための超強力なプロンプトです。

なぜ超強力なのかといえば、犬が何も考えずとも行動できるからです。

良くできたカーナビに従って車でどこかに行くのと同じ、あるいはそれ以上に楽でしょう。

プロンプトとして超強力なだけに、行動はすぐ引き出せるわけです。


でも、この「フードを使った誘導」、言い換えればエサで釣るトレーニングは極めてリスキーで、効率よく用いるには実はかなり高度な知識と判断力が必要なんです。

こういった強力なプロンプトを用いると犬がほとんど考えないので、そのままでは全然学習してくれません。
何度も何度も繰り返していくとやがては覚えてくれるんですが、その時には完全にそのプロンプトがキューになっているわけです。
手を大きく回して誘導するヒールポジションなんかが最たる例です。

だから本来プロンプトは引き揚げなくちゃならないんでが、もうキューになっていると引き揚げられないんですね。

それを避けるためには注意深く犬を観察し、わずか数回で誘導をやめるくらいのプログラムを実践しなければなりません。
わずか数回といっても、それが速すぎれば行動は消えますから、犬が「こんな感じかなぁ」と思い始めたところで巧みに抜いていくというメカニカルスキルも求められます。

誘導をちゃんと使おうとしたら実はとても難しいわけです。
だから初心者には勧められません。かなり勉強した人だけが上手に誘導というプロンプトを使いこなせるんだと思います。


また犬が緊張下にある場合、例えば知らない場所、知らない人たち、知らない犬といった刺激の中で、いつものキューが効かないからとすぐにフードによる誘導を行うケースも良く目にしますが、これも最悪の事態を招くことが多いです。

ただでさえ気持ちが高ぶり落着きを失っている状態で強力なフードを出したらどうなるか。

そのために冷静になれるのか、それともさらにエキサイティングな事態になってしまうのか。結果は明白です。
犬はまともに考えることもできなくなってただ吠え続ける。あるいは極度に落着きを失い、ヒステリックに動き回ったかと思えば必死でフードを食べようとするなど、めちゃくちゃな行動になっていきがちです。

バリアフラストレーションという言葉があります。動きを束縛される際に起きる葛藤です。ケージの中でも起きるし、部屋の隅に追い詰めてもそうなります。リードを張った状態ではかなりバリアフラストレーションを犬に与えてしまいます。
そしてそんな状況下でのフードによる誘導は、それに近い「拘束されるフラストレーション」を受けてしまうんですね。

仮に何かを学習したとしてもエサに釣られているわけですから、人との絆とは程遠い状態です。逆に言えば誰のエサにも釣られるでしょう。
そしてエサがなければ何もやらない、というのも当たり前です。フードを持つ手がキューになっているのだから、犬にとっては「エサがない」 = 「キューが出ていない」に等しいわけです。

学習は遅れ、正しいキューは伝わらず、慣れない環境では余裕を失ってしまう・・・

まさにエサで釣るとロクなことがありません。

もちろん私もフードによる誘導を用いる場合があります。それは主に【管理のテクニック】としてであり、リードで管理することと同じ目的においてです。
リードさばきと同様にフラストレーションには注意しなければなりません。

一方タレント犬トレーニングなどでは、手っ取り早く行動を教えるために誘導とクリッカーと声掛けなどを同時に行う場合があります。
プロンプトだらけにします。

この場合はかなり犬に集中し、いつどのプロンプトを引き上げるか、あるいはどのプロンプトをキューとして残すか、どのプロンプトをすり替えていって新たなキューにつなげるかなどを考えながら、1分間とて同じメニューを繰り返えさないような、いわば刻一刻と変化していくバリアブルトレーニングをしてくわけです。

だからこそタレント犬トレーニングは面白いともいえます。

また普段のトレーニングでも、「エサで釣る」ことは避けますが、だからと言ってフードを使わないわけではありません。むしろフードは多用します。

それは「報酬として」です。
報酬ですから後出しです。
これは決してキューになりません。
もちろんプロンプトにもなりません。

厳密には準備の段階で犬がそれを察しトレーニングモードになる可能性はあります。
しかし、ここでテーマとなっているのは新しい行動を形作ることですから、フードが具体的な行動のプロンプトになっていない限り弊害はありません。
むしろこれから何かが始まる期待感を持たせることができるでしょう。

こういった理屈は説明を聞けばなるほどと思ってもらえるのですが、誘導のトレーニングは簡単で分かりやすいので、ついついやってしまいがちな罠であるともいえます。

クリッカーが素晴らしいのは、そういう罠から遠ざかれること。
誘導に毒されずに犬のトレーニングができることにあります。

これからしつけを学ぼうとしている方がいらっしゃったら、ぜひ誘導は後回しにして犬の自発性を引き出すトレーニングから始めてください。

オスワリやフセ、オイデなどは誘導よりクリッカーのほうがずっと簡単に教えられます。
失敗もなく、犬も楽しく学べます。

まずクリッカーを学んでください。
そして原理を理解できたら報酬によるトレーニング全般に広げていきましょう。

誘導テクニックは管理の手法として後で学びましょう。

さらに「新しいことを教える」ことと「教えたことをいつでも実行してもらう」トレーニングの違いを認識し、これらを上手に使い分けていただければ、現在考えうる最も効率的な模範的トレーニングになると思います。

犬は忍耐強いから、私たちのわかりにくくて遠回りなトレーニングにも付き合ってくれますが、人道的かどうかといわれれば、余分なストレスをかけているわけですから、誘導はあまりほめられたものではありません。
キャシー・スダオは「誘導は強制訓練だ」と言い切っています。

その言葉、科学的なトレーニングを目指すものなら、重く受け止めようではありませんか。
プロフィール

のいぱぱ

Author:のいぱぱ
やっぱりサモエドが大好きです。
抜け毛がものすごくても、頑固でマイペースでも・・・。
運命の出会いで一緒に暮らすことになったルフトと、最新の科学的な理論をバックボーンに信頼関係を楽しく築いて行きたいと思います。

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