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「かわいそう」が直接動機の愛護活動はどうなんだろう?

世の中には「かわいそう」な動物がたくさんいる。
身近でもよく目にする。

「かわいそう」だからという理由で愛護活動をしている方も多い。というか、愛護活動のほとんどの理由は「かわいそう」だからだと思う。

でもこの「かわいそう」が曲者(くせもの)だ。

「かわいそう」という気持ちを直接ぶつける活動にはろくなことがない。相手をかえって不幸にしてしまうケースも少なくない。

その昔、先進国の人々が未開の地に踏み込み、そこで質素な暮らしをしている現地人を見てかわいそうに思った。自分たちの幸せが申し訳ない。それに比べてここの人々のかわいそうなことといったら・・・・。そんな動機で安易に「文明」を持ち込んだ結果、さまざまな不幸が起きた。とにかくバランスが崩れる。

たとえば、「かわいそう」の反対は「幸せそう」だとして、寿命がせいぜい2~4歳。毎日食べるものを得るのも一苦労。病気になっても病院に行けない、という犬たちは幸せそうなのか、かわいそうなのか。

実は世の中の犬の8割はそういった飼い主のいない、いわゆる野良犬だと言われている。WHOがネイバーフッドドッグと名付けた犬たちだ。

生きて行くのが大変。だけども去勢避妊されておらず、自由に子孫を残せる。リードやケージで行動を束縛されてもいない。全てが自己責任の自由犬。

そういった犬に比べて、私たちと暮らしている犬たちは「幸せそう」に思える。
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ルフトは去勢している。外に出るときはリードをつける。家から勝手に外に行くことは許されない。犬が集まっているところでも勝手に遊ぶことは許されない。でも食事も安全な寝るところも、そして医学的な健康管理も約束されている。

飼い主は愛犬をとっても愛している。

ルフトは「幸せそう」に見える。それに比べて野良犬は「かわいそう」だ。

でも本当はどうなんだろう?
種全体で幸せを考えれば、それはおそらく子孫を残し、種が繁栄することだろう。絶滅の反対。

だとすると、繁殖できる野良犬は、たとえ生きるのが大変で寿命が短くても幸せ。ルフトは「かわいそう」なはずだ。



先日熊本天草のイルカを見に行った。

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世界でも珍しい、湾内に住む居付きのイルカたち。およそ200頭が生息しているらしい。
観光資源になっているが、ルールがあって、イルカたちの生活を妨げない事、そして決して餌付けしない事が守られている。
おそらく水族館のイルカよりはるかに生きるのが大変で、寿命も短いだろう。
水族館のイルカは愛情深く育てられ、努力しなくても食べ物が得られる。健康管理されている。
でも限られた狭い世界から出られない。

さて、どっちのイルカが「かわいそう」でどっちが「幸せそう」なんだろう?

ずっと外飼いだった犬を、ある日から室内飼いに変更した知人がいる。いろいろ犬のことを勉強し、「かわいそう」だから部屋に入れてあげようと親を説得したそうだ。
しばらくして悲しそうに外を見続けている犬を見かね、その親が「もう外に出してあげたらどうだ」と言ったそうだ。
唖然としながらも外飼いに戻したらその犬は明らかにうれしそうに外の暮らしに戻ったという。

安易な「かわいそう」は相手に幸せをもたらすとは限らない。むしろその逆が多いと思う。
「かわいそう」は完全に人間側の感情だ。「かわいい」とおんなじヒト目線。
「かわいい」と思ったり「かわいそう」と思うのはヒトとして自然なことだが、それをそのまま(安易に)行動に移してはいけない。
同様に「幸せそう」が幸せとイコールでない事も忘れてはいけない。

「かわいそう」だからレスキューされる多くの動物が「ほっといてくれ!」と言っている気がしてならない。

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プロフィール

のいぱぱ

Author:のいぱぱ
やっぱりサモエドが大好きです。
抜け毛がものすごくても、頑固でマイペースでも・・・。
運命の出会いで一緒に暮らすことになったルフトと、最新の科学的な理論をバックボーンに信頼関係を楽しく築いて行きたいと思います。

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