犬は群れをなす
犬は本来、群れをなす動物である、というのは誰でも知っています。
では「遊びは何のためにするのか」を科学的に説明できるでしょうか。
楽しそうだと感じますが、科学者はそういう感情を認めません。
小犬は実によく遊びます。これは学習であり、練習です。
ルフトも遊びたがります。一人で遊んだり、私と遊んだり、そしてもちろん他の犬と遊んだり。
どんどん学習しているわけです。でも時々度を超してオトナの犬に叱られます。それで怖い思いもします。しばらくその犬に近寄れなくなったり、遠くから吠えてみたり・・・・。
さて、犬にはフロンティアスピリットのようなチャレンジ精神があるでしょうか?
人間は怖いことにお金を払います。怪談話からジェットコースターまで、危険だったり恐ろしいことにわざわざお金を払ってチャレンジします。不思議ですね。なぜでしょう・・・・・?犬もそうなんでしょうか?
動物にはみなそういったチャレンジ精神があると思います。特に小犬は怖い思いをしたものに再び立ち向かうようなモーターパターンがあるようです。
それはなぜか?
ウルフパークでバイソンに向かっていくオオカミはビビリまくっていました。それでもおそるおそる、慎重に回り込んでいきます。
つまり動物は皆、チャレンジャーでなければ捕食できないんですね。草食動物ですら天敵の陰におびえながらも、おいしい草を求めてチャレンジするのでしょう。
ここで、最初の「犬は群れをなす動物である」に話を戻すと、捕食と同様に、特に小犬にとって群れの一員として認められることは、生きていく上でかなり重要なファクターとなっているのではないかと思い至ります。
一度は嫌われたオトナに、おそれることなく何度も向かっていき、気に入られたい。受け入れてもらいたいというモーターパターンが確かにあるような気がします。
今日、ルフトは以前厳しく叱られたスタッフ犬の入っているクレートの前でオシッコをしました。実はこれで2回目です。クレートはタオルで覆われていて中が見えないのですが、その前で熱心に匂いをかぎ、ついにオシッコまでしてしまいました。
これは明らかに怖さを克服して相手に受け入れてもらおうとする行動であり、シグナルであると思われます。ただ怖いだけなら離れていればいいのに、あえてチャレンジしに行きます。もちろん攻撃のためではなく、和解のためです。相手に見えているかどうか解らないのにそんな行動をします。これはモーターパターンのようです。
フライトンディスタンスという、動物がびっくりして逃げる距離があります。それが短いこと、そして再チャレンジまでの時間が少ないことが、犬が人と暮らせるようになった大きな資質です。ロシアでの銀ギツネの研究でも、フライトンディスタンスの短い個体同士を掛け合わせて行く実験で、「跳躍的進化」を遂げペット化していくプロセスが発表されました。
叱られても叱られても仲良くしようと近寄っていく小犬はとっても健気(けなげ)です。悪い人に虐待されても良い子で居ようとする哀れな犬も同じモーターパターンが作動しているのでしょう。ルフトにもこの健全なメカニズムがしっかりあるようで、ちょっと嬉しくなりました。