アニマルコミュニケーション
近頃すっかりへ理屈に明け暮れていたので、ちょっと反省してます。
本当は学習理論のこと、もっともっと考えているのだけれどあまり書きすぎてもアンバランスになるし。
そこで、目先を変えてアニマルコミュニケーションについて・・・。
私は宇宙人の存在や超能力を信じたいタイプです。よく本を読んでいた頃もサイエンスフィクションやファンタジーが好きでした。
先日ボブ・ベイリーが宇宙飛行士になりたかったと聞き、そして私の好きな映画ベスト5に入るかもしれない「2001年宇宙の旅」の話を持ち出し、さらにある国では「ヨーダ」というあだ名で呼ばれ、「フォース」使いだなんて言われた時には小躍りしてしまいました。
そんな私ですが、今のところ犬とテレパシーで対話できるとは考えていません。
そういうのが近頃のはやりだし、私も偶然ですがワークショップに参加したことがあり、科学だけでは説明できない何かを少しは感じたこともありますが、それでも愛犬とテレパシーで対話できるとは思っていません。
それができればどんなに素敵かとは考えますが、あまりにも安易な願望だとも思います。
国内外の何人かのアニマルコミュニケーターの方ともお話をしましたが、どうしても理論的な矛盾を感じてしまい、心底納得することはできません。
もちろん単に「非科学的だ」で済ませるつもりはなく、むしろ科学の解明が追い付いていない領域はたくさんあるわけですから、常にいろいろな可能性に対する心の眼は開いておかなければですよね。
でも少なくとも理論的に自分が納得できないような飛躍的論拠にはついていけません。
「宇宙人はいるのか」という問いに対しては理屈から言って、いない方がおかしいとは思いますが、犬が過去を語る、あるいは未来を語るのを通訳されてもいろいろな面で納得できないのです。
もしかしたらいつか、そんな頑固な私でも納得できるようなアニマルコミュニケーターの方にお会いする日が来るのかもしれませんが、少なくとも今のところは地道に科学を学び、ひたすら犬の一挙手一投足を観察し、犬からのメッセージを科学的に理解するように努めたいと思います。
そういった努力を尽くした上で超能力を信じるのなら、素敵なことだと思いますが、手間を省いてテレパシーに頼るのはいただけません。だったらドラえもんに来てもらうことを願った方が早いかも。
本当は学習理論のこと、もっともっと考えているのだけれどあまり書きすぎてもアンバランスになるし。
そこで、目先を変えてアニマルコミュニケーションについて・・・。
私は宇宙人の存在や超能力を信じたいタイプです。よく本を読んでいた頃もサイエンスフィクションやファンタジーが好きでした。
先日ボブ・ベイリーが宇宙飛行士になりたかったと聞き、そして私の好きな映画ベスト5に入るかもしれない「2001年宇宙の旅」の話を持ち出し、さらにある国では「ヨーダ」というあだ名で呼ばれ、「フォース」使いだなんて言われた時には小躍りしてしまいました。
そんな私ですが、今のところ犬とテレパシーで対話できるとは考えていません。
そういうのが近頃のはやりだし、私も偶然ですがワークショップに参加したことがあり、科学だけでは説明できない何かを少しは感じたこともありますが、それでも愛犬とテレパシーで対話できるとは思っていません。
それができればどんなに素敵かとは考えますが、あまりにも安易な願望だとも思います。
国内外の何人かのアニマルコミュニケーターの方ともお話をしましたが、どうしても理論的な矛盾を感じてしまい、心底納得することはできません。
もちろん単に「非科学的だ」で済ませるつもりはなく、むしろ科学の解明が追い付いていない領域はたくさんあるわけですから、常にいろいろな可能性に対する心の眼は開いておかなければですよね。
でも少なくとも理論的に自分が納得できないような飛躍的論拠にはついていけません。
「宇宙人はいるのか」という問いに対しては理屈から言って、いない方がおかしいとは思いますが、犬が過去を語る、あるいは未来を語るのを通訳されてもいろいろな面で納得できないのです。
もしかしたらいつか、そんな頑固な私でも納得できるようなアニマルコミュニケーターの方にお会いする日が来るのかもしれませんが、少なくとも今のところは地道に科学を学び、ひたすら犬の一挙手一投足を観察し、犬からのメッセージを科学的に理解するように努めたいと思います。
そういった努力を尽くした上で超能力を信じるのなら、素敵なことだと思いますが、手間を省いてテレパシーに頼るのはいただけません。だったらドラえもんに来てもらうことを願った方が早いかも。
そんなの関係ない
どんどん過激になってくるトレーニング理論ですが、さらに続けます。
さて、科学的トレーニングの中心となっているオペラント条件付けですが、そしてその代表格とみなされているクリッカートレーニングですが・・・・。
クリッカートレーニングはオペラント学習のためのものなんでしょうか?
オペラント学習は行動に対しての定義です。
行動とは「死体ではできないこと」と行動分析学では定義されています。
はて、行動とは何でしょう?
オスワリは行動でしょうか?
フセは?
行動の定義にどの程度時間軸が関係しているかによりますが、私自身は以下のように考えています。
・オスワリという姿勢に移行する変化は行動である。
・座った状態を維持していることは行動ではない。
・突き詰めれば家庭犬に求められる、いわゆるハウスマナーに行動はほとんどない。
・したがってハウスマナーにおいてはオペラント学習の出る幕は少ない。
これまでの常識を覆すような大胆な仮説かもしれませんが、そう信じています。
では何か?
それは古典的あるいはレスポンデント学習のようなものなんです。
ほとんどのことはそれで済みます。そしてその方が学習効率は高いはずです。
となると、クリッカーの出る幕はあるのでしょうか?
オペラントの先鋒たるクリッカーなのに?
そこで(私の考える)結論です。
オペラントかレスポンデントか?
そんなの関係ない
クリッカーは単なるポジティブ・ブリッジです。
クリッカーは二次強化子なんです。それ以上でも以下でもありません。
そしてこれも私のこだわりですが、クリッカーはハンドラーに提供可能な唯一といってもいいくらいの嫌子を伴わない好子なのです。
手で与えるおやつを例に取れば、おやつは一時強化子ですが、その出現の仕方に嫌子を伴う可能性があります。人が近づく、手が近づく、アイコンタクトが伴う、etc.
特に野生動物や保護犬などで顕著にそれがわかります。
そんなとき、嫌子を伴わない二次強化子がいかに有効か。
それから、新しいことを犬に教えるとき、特にオスワリとかマテなど、ゴールが行動ではなく状態のもの、これはオペラントから状態強化への移行が伴います。
それでもクリッカーが有効なのは、クリッカーが単なる二次強化子だからです。
ついでに言えばルアーは行動のナビゲーションに用いられます。だから状態の強化には向いていないんですね。
さて、科学的トレーニングの中心となっているオペラント条件付けですが、そしてその代表格とみなされているクリッカートレーニングですが・・・・。
クリッカートレーニングはオペラント学習のためのものなんでしょうか?
オペラント学習は行動に対しての定義です。
行動とは「死体ではできないこと」と行動分析学では定義されています。
はて、行動とは何でしょう?
オスワリは行動でしょうか?
フセは?
行動の定義にどの程度時間軸が関係しているかによりますが、私自身は以下のように考えています。
・オスワリという姿勢に移行する変化は行動である。
・座った状態を維持していることは行動ではない。
・突き詰めれば家庭犬に求められる、いわゆるハウスマナーに行動はほとんどない。
・したがってハウスマナーにおいてはオペラント学習の出る幕は少ない。
これまでの常識を覆すような大胆な仮説かもしれませんが、そう信じています。
では何か?
それは古典的あるいはレスポンデント学習のようなものなんです。
ほとんどのことはそれで済みます。そしてその方が学習効率は高いはずです。
となると、クリッカーの出る幕はあるのでしょうか?
オペラントの先鋒たるクリッカーなのに?
そこで(私の考える)結論です。
オペラントかレスポンデントか?
そんなの関係ない
クリッカーは単なるポジティブ・ブリッジです。
クリッカーは二次強化子なんです。それ以上でも以下でもありません。
そしてこれも私のこだわりですが、クリッカーはハンドラーに提供可能な唯一といってもいいくらいの嫌子を伴わない好子なのです。
手で与えるおやつを例に取れば、おやつは一時強化子ですが、その出現の仕方に嫌子を伴う可能性があります。人が近づく、手が近づく、アイコンタクトが伴う、etc.
特に野生動物や保護犬などで顕著にそれがわかります。
そんなとき、嫌子を伴わない二次強化子がいかに有効か。
それから、新しいことを犬に教えるとき、特にオスワリとかマテなど、ゴールが行動ではなく状態のもの、これはオペラントから状態強化への移行が伴います。
それでもクリッカーが有効なのは、クリッカーが単なる二次強化子だからです。
ついでに言えばルアーは行動のナビゲーションに用いられます。だから状態の強化には向いていないんですね。
誘導はキューになる
誘導は本当に危険です。甘い罠です。気をつけなければです。
誘導は英語だとルアーと言います。なんだか新しいトレーニングみたいです。
誘導もルアーも同じこと、そしてこれはプロンプトの一つです。
プロンプトは犬から行動を引き出すきっかけとなることすべてを指します。
プロンプトは数回繰り返すだけで、すぐにキューになります。オーバーシャドウも同様です。
これが甘い罠なんです。
誘導がなければ行動を起こさなくなるのは当たり前、それがキューになっているから。
ほんの数回誘導するだけで、すぐにキューになります。
だから結果を急いではいけないんです。犬が思いつくのを待たなくては。クリッカーを使っていても使っていなくてもシェイピングの考え方が大事なんです。
そしてシェイピングのコツはマイクロシェイピング。
細かく刻んで刻んで仕上げていくやり方です。
それが結局近道なんです。
誘導は英語だとルアーと言います。なんだか新しいトレーニングみたいです。
誘導もルアーも同じこと、そしてこれはプロンプトの一つです。
プロンプトは犬から行動を引き出すきっかけとなることすべてを指します。
プロンプトは数回繰り返すだけで、すぐにキューになります。オーバーシャドウも同様です。
これが甘い罠なんです。
誘導がなければ行動を起こさなくなるのは当たり前、それがキューになっているから。
ほんの数回誘導するだけで、すぐにキューになります。
だから結果を急いではいけないんです。犬が思いつくのを待たなくては。クリッカーを使っていても使っていなくてもシェイピングの考え方が大事なんです。
そしてシェイピングのコツはマイクロシェイピング。
細かく刻んで刻んで仕上げていくやり方です。
それが結局近道なんです。
じゃまいかのいろいろ
理屈は簡単、だけどうまくいかない・・・。
じゃまいかは「基本的」にしていないし・・・。
基本的に?
そう、どうしても例外はあるもので・・・・。
でもね、
犬の学習に、言い訳は全く通用しません。
ボブ・ベイリーはビデオ撮影することを強く勧めていました。私もそう思います。
ビデオ映像では言い訳が反映されないから。
・騒いでいる犬をおとなしくさせようとして「オスワリ」と言ったら、フセをしてアイコンタクトしている。
(静かになったし、こちらに集中しているからまぁいいか)
・「ヒール」と言ったら、ちょっと離れて座った。
(少しだから自分が一歩近付けばいいや)
・レトリーブをしたらダンベルを落とした。
(面倒だから自分で拾った)
・「オイデ」と言ったらちょっと離れて座った。
(身を乗り出しておやつをあげた)
・ドッグランで「オイデ」と言ったら、遊びに夢中で聞いていなかった。
(友達が見ていて恥ずかしかったので、呼ばなかったことにした)
・面白がって友人が自分の犬にトリックを命じたが違うトリックをした。
(それはそれで受けていたし、かわいがってくれるからまぁいいや)
・友人が「オイデ」と言ったが、来なかったので、「オイデ」を連発した。
(最後は来たし、それまでの「オイデ」がじゃまいかになってるなんて言えない)
・友人が「オスワリ」と言ったが飛びついたので、「だめだってば」と叱った。
(愛情たっぷりに叱られた犬は大喜びしていた)
・自分がいないところで犬が吠えていたようだが、友人たちがうるさいので口止めコングを与えた。
(同じ状況になると毎回吠えるようになった)
・濡れた地面がいやだったらしく、「オスワリ」と言ったが座らなかった。
(うちの子は濡れた地面が嫌いだから・・・)
・アジリティの練習中に吠えたが、練習を始めたばかりだったし、そのまま続けた。
(別に吠えたことにおやつあげたわけではないし)
・犬にアイコンタクトを求めたが見てくれないので、覗き込んだ。
(ぐっと覗き込めばこちらを見てくれるし)
☆トレーニング中に失敗をした。まだ続けたかったので、もう一度同じキューを出した。
(キューを繰り返したらその分だけじゃまいかが増えるけど、成功して終われと習ったから)
じゃまいかってどこにでも転がっています。
せめて、出来そうもない状況で大切なキューを使うことは避けたいですね。
じゃまいかは「基本的」にしていないし・・・。
基本的に?
そう、どうしても例外はあるもので・・・・。
でもね、
犬の学習に、言い訳は全く通用しません。
ボブ・ベイリーはビデオ撮影することを強く勧めていました。私もそう思います。
ビデオ映像では言い訳が反映されないから。
・騒いでいる犬をおとなしくさせようとして「オスワリ」と言ったら、フセをしてアイコンタクトしている。
(静かになったし、こちらに集中しているからまぁいいか)
・「ヒール」と言ったら、ちょっと離れて座った。
(少しだから自分が一歩近付けばいいや)
・レトリーブをしたらダンベルを落とした。
(面倒だから自分で拾った)
・「オイデ」と言ったらちょっと離れて座った。
(身を乗り出しておやつをあげた)
・ドッグランで「オイデ」と言ったら、遊びに夢中で聞いていなかった。
(友達が見ていて恥ずかしかったので、呼ばなかったことにした)
・面白がって友人が自分の犬にトリックを命じたが違うトリックをした。
(それはそれで受けていたし、かわいがってくれるからまぁいいや)
・友人が「オイデ」と言ったが、来なかったので、「オイデ」を連発した。
(最後は来たし、それまでの「オイデ」がじゃまいかになってるなんて言えない)
・友人が「オスワリ」と言ったが飛びついたので、「だめだってば」と叱った。
(愛情たっぷりに叱られた犬は大喜びしていた)
・自分がいないところで犬が吠えていたようだが、友人たちがうるさいので口止めコングを与えた。
(同じ状況になると毎回吠えるようになった)
・濡れた地面がいやだったらしく、「オスワリ」と言ったが座らなかった。
(うちの子は濡れた地面が嫌いだから・・・)
・アジリティの練習中に吠えたが、練習を始めたばかりだったし、そのまま続けた。
(別に吠えたことにおやつあげたわけではないし)
・犬にアイコンタクトを求めたが見てくれないので、覗き込んだ。
(ぐっと覗き込めばこちらを見てくれるし)
☆トレーニング中に失敗をした。まだ続けたかったので、もう一度同じキューを出した。
(キューを繰り返したらその分だけじゃまいかが増えるけど、成功して終われと習ったから)
じゃまいかってどこにでも転がっています。
せめて、出来そうもない状況で大切なキューを使うことは避けたいですね。
ブリッジの用語分け
一次強化子を約束する弁別刺激をあえてポジティブ・ブリッジと呼ぶようにしようかなと思っています。
そうするとネガティブ・ブリッジという考え方が明確になって、これは負の弱化とつながっていることを説明しやすいかもしれません。
人道的かつ科学的なトレーニングでは、ほとんど好子を出現させるか、消滅させることで行動を強化したり消去するので、正の弱化や負の強化という、嫌子を出現させたり消滅させたりという手法を用いないのだから、ブリッジに関してもポジティブとネガティブでわかりやすく分けられると思うのです。
そうするとネガティブ・ブリッジという考え方が明確になって、これは負の弱化とつながっていることを説明しやすいかもしれません。
人道的かつ科学的なトレーニングでは、ほとんど好子を出現させるか、消滅させることで行動を強化したり消去するので、正の弱化や負の強化という、嫌子を出現させたり消滅させたりという手法を用いないのだから、ブリッジに関してもポジティブとネガティブでわかりやすく分けられると思うのです。
じゃまいかを掘り下げる
トレーニング関係の話が続いていて恐縮ですが、学習の理論は簡単だし、犬の知能を持ってすればいわゆる「しつけ」と呼ばれるようなハウスマナーなんて簡単に教えられるはずなのに、なんで多くの人が苦労するのか、少し掘り下げて考えてみたので、お付き合いくだされば幸いです。
「強化の歴史」というフレーズがあります。
どれだけ強化が繰り返されてきたかが重要だという意味なのですが、人はとかく、何かを覚えさせることばかりに気を取られて、何かを覚えさせないことがすっかり後回しになっているのではないでしょうか。
「強化の歴史」は、覚えてほしいことだけではなく、覚えてほしくないことにも当てはまるわけですから、「じゃまいか」が20回に1回以上の割合で起きている覚えてほしくないことは、きっちり定着してしまうことを私たちは心してかかるべきでしょう。
先日「じゃまいか」によって教えていることを覚えてくれない、つまり強化がうまくいかないと書きましたが、それは同時に、望んでいないことが強化されていることに他ならないと考えられるケースも存在するわけです。
これは「無駄吠え」や「崩れたヒールポジション」、「呼んでも来ない呼び戻し」、「いい加減なフセ」などで顕著に起きているはずです。
特に無駄吠えに関しては、絶対にそれを認めないという毅然とした態度で臨まないと、すぐに強化の歴史が積み重なり、フィックスドアクションパターンという、生得的なものの次に強力な無意識の行動となってしまうからです。
内的報酬も関係した行動の強化を食い止めるには、罰を用いる必要があります。感情ではなく科学で罰を適切に用いる必要があります。効果的な罰とは決して身体的な苦痛などではなく、負の弱化を中心としたものであるべきです。そして負の弱化にもノーリウォードマーカー、あるいはノーリウォードシグナルと呼ばれるブリッジが存在し、それを有効活用することで、毅然とした態度を実現することができると考えます。
ここで用いられる負の弱化では、捕食本能よりもむしろ危機回避本能に根ざした強化子を取り去るべきで、それはすべての資源を管理する者、つまり飼い主に他ならないということを明確にしておきたいと思います。
これがトレーニング中であれば、タイムアウトという概念にもつながっていくわけです。つまり無駄吠えであれば、吠えた時点ですべてのトレーニングを打ち切り、飼い主とのリレーションも断ち切るということにほかなりません。あるいはその時に犬が欲しているすべてのコミュニケーションや環境を取り去らなければなりません。
これは罰を与えるという考えではなく、望まれない行動に対して「強化の歴史」を作らないために強化子を与えないことが絶対に必要なのです。
科学的な手法の弱いところ、理論的に正しいトレーニングでいくら行動を教えても、ちっとも困った行動が消えない部分に対する答えが、これでようやく自分なりに見えてきました。
だから何年もしつけ教室に通っていていろんな事を教えても、確実性がなくて「何もしていない犬とどこが違うの?」という状態が起きてしまうんですね。
何かを覚えさせることより、何かを覚えさせないことがいかに大事か。そしてそのためには絶対に「じゃまいかの禁止」を徹底しなければいけない、ということをあれこれ考え続けたあげく、強く再確認した次第です。
もう少し整理して今後のカリキュラムにも反映させていきたいと思います。
また幅広い「じゃまいか」の実態も徐々に解明していきたいと思います。
「強化の歴史」というフレーズがあります。
どれだけ強化が繰り返されてきたかが重要だという意味なのですが、人はとかく、何かを覚えさせることばかりに気を取られて、何かを覚えさせないことがすっかり後回しになっているのではないでしょうか。
「強化の歴史」は、覚えてほしいことだけではなく、覚えてほしくないことにも当てはまるわけですから、「じゃまいか」が20回に1回以上の割合で起きている覚えてほしくないことは、きっちり定着してしまうことを私たちは心してかかるべきでしょう。
先日「じゃまいか」によって教えていることを覚えてくれない、つまり強化がうまくいかないと書きましたが、それは同時に、望んでいないことが強化されていることに他ならないと考えられるケースも存在するわけです。
これは「無駄吠え」や「崩れたヒールポジション」、「呼んでも来ない呼び戻し」、「いい加減なフセ」などで顕著に起きているはずです。
特に無駄吠えに関しては、絶対にそれを認めないという毅然とした態度で臨まないと、すぐに強化の歴史が積み重なり、フィックスドアクションパターンという、生得的なものの次に強力な無意識の行動となってしまうからです。
内的報酬も関係した行動の強化を食い止めるには、罰を用いる必要があります。感情ではなく科学で罰を適切に用いる必要があります。効果的な罰とは決して身体的な苦痛などではなく、負の弱化を中心としたものであるべきです。そして負の弱化にもノーリウォードマーカー、あるいはノーリウォードシグナルと呼ばれるブリッジが存在し、それを有効活用することで、毅然とした態度を実現することができると考えます。
ここで用いられる負の弱化では、捕食本能よりもむしろ危機回避本能に根ざした強化子を取り去るべきで、それはすべての資源を管理する者、つまり飼い主に他ならないということを明確にしておきたいと思います。
これがトレーニング中であれば、タイムアウトという概念にもつながっていくわけです。つまり無駄吠えであれば、吠えた時点ですべてのトレーニングを打ち切り、飼い主とのリレーションも断ち切るということにほかなりません。あるいはその時に犬が欲しているすべてのコミュニケーションや環境を取り去らなければなりません。
これは罰を与えるという考えではなく、望まれない行動に対して「強化の歴史」を作らないために強化子を与えないことが絶対に必要なのです。
科学的な手法の弱いところ、理論的に正しいトレーニングでいくら行動を教えても、ちっとも困った行動が消えない部分に対する答えが、これでようやく自分なりに見えてきました。
だから何年もしつけ教室に通っていていろんな事を教えても、確実性がなくて「何もしていない犬とどこが違うの?」という状態が起きてしまうんですね。
何かを覚えさせることより、何かを覚えさせないことがいかに大事か。そしてそのためには絶対に「じゃまいかの禁止」を徹底しなければいけない、ということをあれこれ考え続けたあげく、強く再確認した次第です。
もう少し整理して今後のカリキュラムにも反映させていきたいと思います。
また幅広い「じゃまいか」の実態も徐々に解明していきたいと思います。
シマリスのように忍耐強く
ボブ・ベイリー氏の来日にあわせて制作を進めていた「Patient Like The Chipmunks」(邦題:シマリスのように忍耐強く)の日本語版DVDの一般発売が開始されました。
近代的トレーニングの幕開けはBFスキナーのオペラント条件付けからといっても過言ではありませんが、机の上の理論を磨いていったのは、スキナーの一番弟子マリアン&ケラー・ブリーランド、そしてボブ・ベイリー氏も所属していたABE(アニマルビヘイビアエンタープライズ)という会社でした。
科学者でもあった彼らが、政府の仕事やショー用にあらゆる動物(140種類、一万匹以上!)のトレーニングを行いながら応用行動分析学を確立し、極めて理論的でありながら実践的なトレーニングを切り開いてきた、その歴史が今日の私たちのドッグトレーニングに活かされているのです。
・・というかDVD映像を見ていると、そのレベルの高さに愕然とし、むしろ世界はまだ何十年も前のABEのレベルに追い付いていないのではないか、という気持ちになってしまいます。
猫を自在にコントロールし、カラスにカメラをくわえさせて窓から部屋の中の写真を撮って帰ってこさせるといった、空想小説のようなことをオペラント条件付けを用いて本当にやっていた人たちがいたことにはただただ驚くしかありません。
歴史の生き証人のようなボブと数日間行動を共にし、72歳にしてまだまだ現役で各国政府の仕事をしている彼の哲学に触れることができたのは、本当にありがたいことでした。
私が犬のトレーニングを勉強し始めてから、まだ10年かそこらしかたっていませんが、ずっと真実を求め続けて来た結果、レイ・コピンジャー博士やボブ・ベイリー氏に出会い、自分が求めてきたものの源流にたどり着けた感があります。そしてレイの書籍、ボブのDVDをそれぞれ日本語化するお手伝いをさせていただけました。
感無量です。
長くなりましたが、このDVD、本当に多くの人に見てもらいたいと願っています。
そして売り上げの一部がボブを通じて偉大な功績を残したマリアンの基金に寄付され、こういったトレーニング理論の普及に役立てられることも書き添えておきます。

サンプル映像を載せてみます。
ご購入はD.I.N.G.O.のショッピングサイトからお願いします。
近代的トレーニングの幕開けはBFスキナーのオペラント条件付けからといっても過言ではありませんが、机の上の理論を磨いていったのは、スキナーの一番弟子マリアン&ケラー・ブリーランド、そしてボブ・ベイリー氏も所属していたABE(アニマルビヘイビアエンタープライズ)という会社でした。
科学者でもあった彼らが、政府の仕事やショー用にあらゆる動物(140種類、一万匹以上!)のトレーニングを行いながら応用行動分析学を確立し、極めて理論的でありながら実践的なトレーニングを切り開いてきた、その歴史が今日の私たちのドッグトレーニングに活かされているのです。
・・というかDVD映像を見ていると、そのレベルの高さに愕然とし、むしろ世界はまだ何十年も前のABEのレベルに追い付いていないのではないか、という気持ちになってしまいます。
猫を自在にコントロールし、カラスにカメラをくわえさせて窓から部屋の中の写真を撮って帰ってこさせるといった、空想小説のようなことをオペラント条件付けを用いて本当にやっていた人たちがいたことにはただただ驚くしかありません。
歴史の生き証人のようなボブと数日間行動を共にし、72歳にしてまだまだ現役で各国政府の仕事をしている彼の哲学に触れることができたのは、本当にありがたいことでした。
私が犬のトレーニングを勉強し始めてから、まだ10年かそこらしかたっていませんが、ずっと真実を求め続けて来た結果、レイ・コピンジャー博士やボブ・ベイリー氏に出会い、自分が求めてきたものの源流にたどり着けた感があります。そしてレイの書籍、ボブのDVDをそれぞれ日本語化するお手伝いをさせていただけました。
感無量です。
長くなりましたが、このDVD、本当に多くの人に見てもらいたいと願っています。
そして売り上げの一部がボブを通じて偉大な功績を残したマリアンの基金に寄付され、こういったトレーニング理論の普及に役立てられることも書き添えておきます。

サンプル映像を載せてみます。
ご購入はD.I.N.G.O.のショッピングサイトからお願いします。
「妥協」とは「失敗」のことなり
自分で考えたフレーズの中で気に入っているものの一つが「じゃまいかの禁止」です。
人間側のいろいろな事情で「じゃぁまぁいいかぁ」と妥協してしまうことのリスクをお伝えするために考えました。
トレーニングにおいて妥協するということは、その時点で設定していた目標に届かずにあきらめることにほかなりませんから、これは単なる失敗を意味しています。
そして強化の原理に基づいてトレーニングしているのであれば、1回の失敗はほぼ20〜40回の成功と、その重さにおいて匹敵するといわれているようですので、たとえば妥協を20回に1回の割合でしていれば、その行動はもはや定着しないということになります。
やっぱり犬の賢さをもってすれば、何か新しいことを教えようとするとき、それに何カ月もかかるようなら、教え方を見直すべきなんだと思えてなりません。
本当に効率よく、妥協せずに教えられれば新しいことでもすぐにそれを犬自らするようになってくれるはずです。
もちろんそこからその学習を長期記憶に移していくプロセスや、キュー乗せなどが必要なわけですが、これはすべてに共通することなので、淡々とこなしていくだけで、まったく悩むべき部分ではありませんね。
「じゃまいかの禁止」、これって本当に大事なことなんだと、ボブ・ベイリー氏の話を聞いて再確認した次第です。
人間側のいろいろな事情で「じゃぁまぁいいかぁ」と妥協してしまうことのリスクをお伝えするために考えました。
トレーニングにおいて妥協するということは、その時点で設定していた目標に届かずにあきらめることにほかなりませんから、これは単なる失敗を意味しています。
そして強化の原理に基づいてトレーニングしているのであれば、1回の失敗はほぼ20〜40回の成功と、その重さにおいて匹敵するといわれているようですので、たとえば妥協を20回に1回の割合でしていれば、その行動はもはや定着しないということになります。
やっぱり犬の賢さをもってすれば、何か新しいことを教えようとするとき、それに何カ月もかかるようなら、教え方を見直すべきなんだと思えてなりません。
本当に効率よく、妥協せずに教えられれば新しいことでもすぐにそれを犬自らするようになってくれるはずです。
もちろんそこからその学習を長期記憶に移していくプロセスや、キュー乗せなどが必要なわけですが、これはすべてに共通することなので、淡々とこなしていくだけで、まったく悩むべき部分ではありませんね。
「じゃまいかの禁止」、これって本当に大事なことなんだと、ボブ・ベイリー氏の話を聞いて再確認した次第です。
キープ ゴーイング シグナルの真実
近代的なトレーニングを考える際にとても重要なことの一つに、フィードバックという概念があります。特に状態の維持(マテ系)で「これで合っているのかな」と不安になる犬を励まし、安心感を与えるために、今していることが正しいか間違っているのかを知らせることがその目的です。
そしてこれまでそれで正しいという合図を私はキープ ゴーイング シグナルと呼んでいましたが、日本にお招きしたボブ・ベイリー氏の極めてプロフェッショナルな動物(すべての動物)トレーニングで、用いられるキープ ゴーイング シグナルの意味が、行動のナビゲーションにあることが分かりました。
つまり動物が動く際の道案内の信号という意味で用いられていたのです。
これは状態の維持で用いるフィードバックとはいささか目的が異なり、(こちらの)理論的に不都合が生じてしまいます。そこでフィードバックとして用いる際の用語を変更する必要を感じ、いろいろ考えたのですが、キープ ドゥーイング シグナル(KDS)と名づけてはどうだろうかと思っています。
プロが業務目的の動物をトレーニング、あるいはコントロールする際に用いるキープ ゴーイング シグナルと、私たちが犬にフィードバックとして用いるキープ ドゥーイング シグナルとは似て非なるもので、決して混同してはいけないのですが、同時に家庭犬のトレーニングであってはフィードバックはとても重要で、ぜひ広めていきたい事だから、分かりやすい用語がなくてはならないと思うのです。
キープ ドゥーイング シグナルは「そうそう、それで合ってるよ」という意味に用いますので、必ずしもそれが行動ではなく、状態であっても有効です。そしてそれは単なる二次強化子ではないので、報酬の約束とイコールでもありません。
業務目的の動物トレーニングでは飼い主との絆は全く不要です。そこには行動のルールしか存在しません。ですから誰がコントロールしても指示が的確であれば同じ反応を示すはずだし、そのようにトレーニングします。さらに言えば指示を出すのは人間である必要もなく、オートメーション化された機械であっても、あるいはその方がより確実な結果を得られるわけですね。
一方家庭犬のトレーニングでは絆(きずな)がとっても大切です。行動を教えるトレーニングが30%だとしたら絆づくりは70%の比率を占めるくらい重要なことだと思います。
この辺はよく感情論で語られてしまうのですが、科学的に考えれば「犬の動機をどこに持って来るか」という問題に過ぎないのではないでしょうか?
業務目的の動物トレーニングでは明確な報酬の提示があって動機はシンプルなのですが、家庭犬の場合はちょっと広義で曖昧な「危機回避本能」をベースとした動機づけを行うべきであり、それこそが「絆(きずな)」なのだと思います。
家庭犬においては「行動を教えるのは簡単、教えた行動をいつでもしてもらうのが難しい」と私は思いますが、その難しいところが絆による部分なんですね。
そしてこれまでそれで正しいという合図を私はキープ ゴーイング シグナルと呼んでいましたが、日本にお招きしたボブ・ベイリー氏の極めてプロフェッショナルな動物(すべての動物)トレーニングで、用いられるキープ ゴーイング シグナルの意味が、行動のナビゲーションにあることが分かりました。
つまり動物が動く際の道案内の信号という意味で用いられていたのです。
これは状態の維持で用いるフィードバックとはいささか目的が異なり、(こちらの)理論的に不都合が生じてしまいます。そこでフィードバックとして用いる際の用語を変更する必要を感じ、いろいろ考えたのですが、キープ ドゥーイング シグナル(KDS)と名づけてはどうだろうかと思っています。
プロが業務目的の動物をトレーニング、あるいはコントロールする際に用いるキープ ゴーイング シグナルと、私たちが犬にフィードバックとして用いるキープ ドゥーイング シグナルとは似て非なるもので、決して混同してはいけないのですが、同時に家庭犬のトレーニングであってはフィードバックはとても重要で、ぜひ広めていきたい事だから、分かりやすい用語がなくてはならないと思うのです。
キープ ドゥーイング シグナルは「そうそう、それで合ってるよ」という意味に用いますので、必ずしもそれが行動ではなく、状態であっても有効です。そしてそれは単なる二次強化子ではないので、報酬の約束とイコールでもありません。
業務目的の動物トレーニングでは飼い主との絆は全く不要です。そこには行動のルールしか存在しません。ですから誰がコントロールしても指示が的確であれば同じ反応を示すはずだし、そのようにトレーニングします。さらに言えば指示を出すのは人間である必要もなく、オートメーション化された機械であっても、あるいはその方がより確実な結果を得られるわけですね。
一方家庭犬のトレーニングでは絆(きずな)がとっても大切です。行動を教えるトレーニングが30%だとしたら絆づくりは70%の比率を占めるくらい重要なことだと思います。
この辺はよく感情論で語られてしまうのですが、科学的に考えれば「犬の動機をどこに持って来るか」という問題に過ぎないのではないでしょうか?
業務目的の動物トレーニングでは明確な報酬の提示があって動機はシンプルなのですが、家庭犬の場合はちょっと広義で曖昧な「危機回避本能」をベースとした動機づけを行うべきであり、それこそが「絆(きずな)」なのだと思います。
家庭犬においては「行動を教えるのは簡単、教えた行動をいつでもしてもらうのが難しい」と私は思いますが、その難しいところが絆による部分なんですね。
ランダムリウォード
間欠的強化の原則はギャンブルの例が紹介されることもあって、とてもポピュラーな考え方になっていますが、最近あまりそれを意識する必要はないのではないかなと思い始めています。
やはり「新しいことを教える」プログラムと、「教えたことを適切なキューで(いつでもどこでも)実行してもらう」プログラムをはっきり分けて考えることがとっても重要で、それがすっきりわかってくると、これまでの常識がどんどん覆ってくるような気がします。
ランダムリウォードもその一つ。深い理由は割愛しますが、新しい行動を強化する(つまり学習させる)のであれば、単純に出せるときは出すべきで、その段階でランダムな報酬の引き上げなど考えるべきではないのではないでしょうか。
ちなみに人間におけるギャンブルでは間欠的に得られるお金だけが報酬ではなく、むしろ内的報酬が毎回必ず出ることが、「はまる」理由ではないでしょうか。
常識ついでにジャックポットについても考えてみました。
ジャックポットは以前はとても有効な手法と言われていましたが、学習理論的には無意味であるという考え方が近頃の主流です。
これはこれで一理あるのですが、私が一番気にしているのは「記憶のメカニズム」に関してで、これは犬の科学でもあまり取り上げられない領域なのですが、実は非常に大切な部分だと思っています。で、短期記憶から長期記憶に移行させることが、犬に何かを「教えること」に他ならないのですから、この記憶のメカニズムを有効に機能させるために「エピソード」はとても重要な役割を持っていて(電話番号や年号を覚えるのに語呂合わせするのもその例ですね)、ジャックポットは上手に出すことでそういった意味でのエピソードとなり得ると思うのです。
もちろん他にもエピソードを追加できるアイデアがあればどんどん採用し、記憶のメカニズムに刺激を与えることで、学習効率は飛躍的に向上するはずです。
今、犬のトレーニングは、古い習慣と近代的な科学の狭間で揺れ動いていますが、その科学自体がまだアンバランスな掘り下げ方をされている傾向も否めず、行動分析学だけではなく、認知学も重要であるといわれ始めたり、まだまだ発展途上にあるような気がします。
結果において科学がまだ伝統に明確に勝てていないのがその証です。
今一つだけはっきり言えるのは、「行動を教える理論自体はきわめてシンプルで単純なものである」ということでしょう。

やはり「新しいことを教える」プログラムと、「教えたことを適切なキューで(いつでもどこでも)実行してもらう」プログラムをはっきり分けて考えることがとっても重要で、それがすっきりわかってくると、これまでの常識がどんどん覆ってくるような気がします。
ランダムリウォードもその一つ。深い理由は割愛しますが、新しい行動を強化する(つまり学習させる)のであれば、単純に出せるときは出すべきで、その段階でランダムな報酬の引き上げなど考えるべきではないのではないでしょうか。
ちなみに人間におけるギャンブルでは間欠的に得られるお金だけが報酬ではなく、むしろ内的報酬が毎回必ず出ることが、「はまる」理由ではないでしょうか。
常識ついでにジャックポットについても考えてみました。
ジャックポットは以前はとても有効な手法と言われていましたが、学習理論的には無意味であるという考え方が近頃の主流です。
これはこれで一理あるのですが、私が一番気にしているのは「記憶のメカニズム」に関してで、これは犬の科学でもあまり取り上げられない領域なのですが、実は非常に大切な部分だと思っています。で、短期記憶から長期記憶に移行させることが、犬に何かを「教えること」に他ならないのですから、この記憶のメカニズムを有効に機能させるために「エピソード」はとても重要な役割を持っていて(電話番号や年号を覚えるのに語呂合わせするのもその例ですね)、ジャックポットは上手に出すことでそういった意味でのエピソードとなり得ると思うのです。
もちろん他にもエピソードを追加できるアイデアがあればどんどん採用し、記憶のメカニズムに刺激を与えることで、学習効率は飛躍的に向上するはずです。
今、犬のトレーニングは、古い習慣と近代的な科学の狭間で揺れ動いていますが、その科学自体がまだアンバランスな掘り下げ方をされている傾向も否めず、行動分析学だけではなく、認知学も重要であるといわれ始めたり、まだまだ発展途上にあるような気がします。
結果において科学がまだ伝統に明確に勝てていないのがその証です。
今一つだけはっきり言えるのは、「行動を教える理論自体はきわめてシンプルで単純なものである」ということでしょう。






