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ばど美とルフト

もうすっかり犬との生活に鳥が加わって、犬と鳥と人間の共同生活が日常になっている。

本当に今でも不思議なんだけど、どうしてこうやって異種同士の動物たちが信頼関係を築き共同の生活を送れるのだろうか?
どうして人は人間以外の動物をこうもかわいがりたくなるんだろうか?
どうして動物たちは人に撫でてもらうことを喜ぶようになるのだろうか?

結構奥が深くて謎な部分だ。

ネットで調べても感情論ばかりで、納得できるような科学的な解説が見当たらない。

不思議だけど素晴らしい事実。

そして犬と鳥も同じ空間を共有できる。

鳥以上に捕食者である犬をしっかりトレーニングしないと危険が有るが、トレーニング次第でそれが可能であることがすごいと思う。

近頃鳥に関するお仕事が増えている。有りがたい事にセミナーの評判もいいし、習ってくださった方々の実績も素晴らしい。
うれしい限りなんだけど、犬の方でも改めて評価していただけるよう、頑張らなくちゃとも思う。

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「友人のお母様に作っていただいた素晴らしいミニチュアルフトと不思議そうなばど美」

あれから8年

私が最も信頼し、崇拝している科学者、レイ・コピンジャー博士と釣りに行ったことがあります。

その時のブログ

それはもう8年も前の事。季節はちょうど今頃。
D.I.N.G.O.でお招きし、各地でセミナーを開催したときに遠征先の福岡で地元の皆さんの協力により実現したアテンドです。

漁船に乗っていたこともある博士は大の釣り好きで、本当に楽しそうでした。

最近私の釣り熱も再燃しているので、ぜひまたご一緒したいなぁって、つくづく思います。

あれからもう8年もたっているのかぁ・・・・・・。

ルフトの好きな場所

仕事柄ルフトを連れていろいろなところに行くが、行くと必ずうれしそうな顔をするのが、千葉県茂原にあるウェランカラです。
ここにはアジリティフィールドも含め、いくつかのドッグランがあるんですが、適度な障害物がありほどほどに走り回れるフィールドが特にお気に入りのようです。
広いランではけっこう隅っこの匂い取りに終始してしまいがちですが、この適度な広さのランでは、私と追いかけっこができるのも楽しいんでしょうね。(広い方では私の体力が持たないし)

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珍しくモネも付き合ってくれて、本当にうれしそうに走ってます。もう7歳だっていうのに。(モネは13歳だ)

リード付きのお散歩をいくらしたって、こういう運動にはならないでしょうね。そしてもちろん、こんな楽しさは味わえないわけで、お仕事とはいえ、定期的に伺えるのはとってもありがたいことです。

私もルフトもできるだけ長く、こんな幸せを味わっていたいですね。IMG_6163.jpg

恋チュン

D.I.N.G.O.の生徒さんを中心に恋チュン ビデオを作っている。
恋チュンって、そうAKB48の恋するフォーチュンクッキーだ。公式のものや非公式のものまで、YouTubeには実にいろんな恋チュンがあって面白い。

ならばD.I.N.G.O.でも作ろうということで、ネットで呼び掛けたところ、予想以上に参加してくれる方が多い。

先日特別授業をした帝京科学大学の学生さんにも(半ば強制的に?)出演してもらった。

学生とルフト

ルフトも学生との共演(?)を果たしたが、まだ私とルフトの映像は撮っていない。
まぁなかなか埋まらないところを演じればいいので、後回しだな。

すでに届いている皆さんの映像の中には実に素敵なものもあって、編集が楽しい。

非公式だから、楽曲を使用することが本来許されないはずなんだけど、恋チュンだけは例外にしてくれているのかな?
公認取れればOKだけど、そうでないなら止められちゃうのかな?そうなったら関係者へのDVDだけでも価値が有る、そう思って完成したらYouTubeに載せちゃいます。

お楽しみに!

突然のお別れ

朝、起きたら桜羅が落鳥していました。
あまりにも早い別れに茫然としています。

思い返せば不調の兆しはありました。

このところ手に乗るとすぐ寝てしまうという状態が続いていたのです。

食事はちゃんと食べているし、ケージの中では活動していたので具合が悪いのか、学習による行動なのかも判断がつきませんでしたので、石綿さんは病院に行った方がいいと言っていましたが、快方に向かうのか、悪化していくのかもう少し様子を見てみようと思っていました。


一昨日。相変わらず手の中ですぐ寝てしまいます。
しかしくちばしの色が良くありません。徐々に色が薄くなってきている気がします。
快方に向かっていないのは明らかです。

ネットで検索してみましたが、幼鳥時のトラブルや老衰の症状、あるいは産卵と関係した疲労時以外に、よく寝る状況がどんな状態なのかを知る手立ては見つかりませんでした。
やはり明日病院に行こう、そう思いその日は寝ました。寝る直前まで桜羅は食事をしていたので、それほど悪化しているとは気がつきませんでした。

そして朝、ケージを覗くと桜羅は落鳥していました。

感染症なのか、それ以外の何かの病気なのかは解りません。
でも徐々に衰弱していたんですね。



後悔することだらけです。

ペットとの暮らしとは、命の私物化です。
生殺与奪の権利を飼い主は持っています。
違う角度から見れば、命を守る責任を果たせずして、飼い主にはなるべきではないでしょう。

これまでの短い間でしたが、桜羅との暮らしは本当に楽しくて、日を追うごとに愛おしく思えていました。毎日朝のトイレ(すごく長い時間入っています)でも一緒にいました。トイレには鏡の前に桜羅用の止まり木も設置しました。

デスクワークのときもずっと桜羅と一緒でした。お気に入りの場所や止まり木、あるいは私の手の上で休んでいました。

徐々に、徐々に、どこを触っても許してくれるようになってきました。桜羅のとても素敵な匂いをかいだり、そっと手のひらで包みこんだり。

ああ、桜羅が私のところに来てくれてよかった、という思いが日々強まっていたこの頃でした。


悔やんでも悔やみきれません。

飼い主になる資格がなかったといわざるを得ません。

桜羅、ごめんね。
こんなやつのところに来なければよかったね。

いつでもえぢがいた

ルフトは札幌から飛行機でやってきた。

わがままを承知で、世間の常識よりは少し早めに引き取らせてもらうこと、そして飛行機に乗せる前に私のタオルを送り、たっぷり匂いを嗅がせておいてもらうこと、それから何度か車で空港まで行き、飛行機の音と燃焼する匂いをかがせてもらうことをお願いした。

そして羽田へのお迎えにはえぢに同行してもらった。
子犬に安全で、そして子犬の不安を少しでも和らげてあげるために適任だったから。

えぢとルフト

狙いは成功。おかげでルフトは不安を感じることもなく、無事横浜に来ることができた。

以後ルフトはえぢをがぶがぶ咬むことで健全に育っていった。えぢはいつでもルフトのがぶがぶを受け入れてくれた。喜ぶでもなく、怒るでもなく、やさしいそぶりを見せるでもなく、ただそばにいてくれた。

変な奴だったな、えぢは。
エピソードも写真も山ほどあるけど、紹介しきれない。

ただ私たちが招いた海外の一流専門家でさえ、口をそろえて、こんな犬は見たことがない、って言ってたな。

ざっくり犬をタイプ別に分類しようとしてもえぢはどこにも収まらない。

えぢはえぢという生物だった。

かわいいとは感じなかったし、いつでもあきれることばかりだったけど、なんというか堂々と生きていて、憎めない存在だった。



2014年3月6日えぢが永眠した。

えぢという存在のイメージ通り、カッコイイ逝き方だった。
最後までえぢらしかった。

えぢ横顔

くそぅ。長く生きていると、自分の周りの大切なものがどんどん消えていってしまう。

そしていつか自分も消えるのだけど、生きるって、生きているときに輝いていなければだめなんだな。

えぢの生きざまを見て学ばせてもらったよ。

2月27日は誕生日

今日、2月27日はルフトの7回目の誕生日。

ルフトとはドイツ語で空気のこと。長年連れ添った夫婦のごとく、まるで空気のように自然に存在する。しかしなくてはならない存在。そんな風になってほしいという願いを込めて命名した。

そしていまではまさに空気のように自然に連れ添っている。

と、ここまでは素敵なんだが、そのせいで誕生日などもつい忘れそうになる。
仮に覚えていても特別なプレゼントを買うなんて思いつきもしない。

まぁ、一緒にいればいいや、なんて思っていた私を見かねて石綿がさりげなくルフトにケーキと大好きなおもちゃを買ってきてくれた。

写真2

コレ、スゴクホシイ・・・・


写真1

マダデスカ?


ルフトの喜んでいること・・・・。

もらってからだいぶたつが、まだ今もおもちゃで遊びまくっている。

もう息も切らしているので、ほんとうはそろそろ取り上げなくちゃだけど、壊しもしないし誤飲もほとんど心配ないので、せっかくの誕生日くらいもう少し遊ばせてあげたい。



ルフトももう7歳。7歳にしては子供っぽいというか大人げないというか。
まだまだ幼さが残るルフトだが、私のかわいいと思う気持ちは年々増してしまっている。

苦労はどんどんなくなり、楽しいことばかり増えるのだから当然かもしれない。
気持ちは以心伝心で伝わる(気がする)し、ルフトの気持ちもだいぶ分かるようになった。

本当にいつまでも元気でいて欲しい。

ずっと一緒にいたい。

ただ明るくおもちゃで遊んでいるルフトを見ながら、私はしみじみとそう思ってしまうのである。

動物たちのこと

動物愛護、そして生命尊重を考えていると、いつだって大きな矛盾にぶつかってしまう。

仕事柄いろいろな動物愛護に関する考え方に触れる機会があるが、本当にスッキリ納得できる答えはなかなか見出せない。

それはそういうことを考える私たち自身の、動物としての生い立ちそのものから生まれる大きな矛盾に起因しているのかもしれない。


地球の歴史の中では人類も他の動物(および植物)同様に種の存続を目指して進化を続けてきた。
繁栄した種が勝ち組、絶滅した種が負け組、という価値観もあるかもしれないが、「現時点では」という但し書きがつく。そして現時点では、ヒトも勝ち組。イヌも勝ち組。

種の存続をかけた戦いでは人類は雑食の捕食者だ。他の動物を殺して食べる。マンモスが絶滅したのは人類が食べつくしてしまったため、という説があるほど捕食していたらしい。

動物愛護が語られる時、自分たちが現在でもなお捕食者である事実を忘れることはできない。

考えた末に菜食主義に移る人もいる。
それとて、捕食者社会に所属している事実は否定しようがない。

食料を得るための飼育動物は家畜。かわいがる対象はペット。捕食の対象ではなく、ペットでもないのは野生動物。
こういった線引が有るようだが、生命尊重の観点から言えば命には何ら変わりがない。


さて、動物園の動物たちは野生動物なのか。

自然界から人間の都合で連れてこられたのではないか。

何のために捕まえられ、飼育されているのか。

動物園関係者にとっては非常に大きなテーマだと思う。

動物園、水族館の存在意義・・・・・・。


絶滅危惧種を守るために繁殖を考えている施設もある。

マンモスを食べつくした人類の末裔が一生懸命絶滅危惧種を救おうとしている。

これまで地球上に生を受けた動物の9割以上がすでに絶滅している事実。
うまく進化してきた種は、その時の環境に適合しながら何とか生き残っている。
絶滅したのはヒトとの関わりも含めて、その時の環境に適応しきれなかった種。

絶滅危惧種は救うべきなのか?少なくとも人が絶滅させることだけは避けるべきなのか。
地球の歴史規模で考えたときにそれは正しい判断なんだろうか。それとも、それとても上に立つ人類のおごりなんだろうか。

家畜は食べるという目的のためだから仕方がないが、野生動物を本来の生息域から連れ出して檻の中で飼うのはけしからん、という理屈は正当なのか。


動物側の視点で考えてみよう。

はたして動物たちは人に飼われることを幸せに思うのだろうか。

人に飼われることによって寿命が延びる動物もたくさんいる。
健康管理、安定した食餌の供給、そして天敵などがいない事。

ここでどうしてもQOLを考える必要がある。
危険もない、狩りをする必要もない。しかしやることが何もないという暮らしは幸せなんだろうか。仮にそれで寿命が延びるなら動物にとってはありがたい話なのだろうか?
家畜の場合も、たとえば毎日2回も卵を生んでいるニワトリは幸せなんだろうか?

長くなってしまったが、私はできるだけ、動物をコンパニオンアニマルとそれ以外、に分ける事にしている。

コンパニオンアニマルは人と共生する動物。基本は相互のコミュニケーションが成り立っている状態。お互いをリスペクトしている関係。リーダー論などは関係ない。

動物の種類も関係ない。野生動物に属していても、家畜に属する動物でもコンパニオンアニマルはいる。
反面ペットといわれる動物でもコンパニオンアニマルと呼べない個体もいる。

コンパニオンアニマルは人との暮らしを自らが望んでいる(ように思われる)動物。


私たちと暮らしている犬はコンパニオンアニマルの代表だ。
1万5千年前に犬が人と暮らすことを自ら選んだという科学者の研究結果は非常に気が休まる。
とはいえ、地球上の約8割のイエイヌは飼い主を持たない。

ではその犬たちは飼い主を求めているのだろうか、いないのだろうか。

私がメキシコで遭遇した、いわゆるヴィレッジドッグは非常にフレンドリーで礼儀正しく、連れて帰りたいくらいだった。ああいう犬たちはおそらくだれかに飼われることを望んでいるし、その方が幸せだろうと、その時思った。

鳥はどうだろう。自ら人と暮らすことを選んだ鳥類はいるのだろうか?
多くの場合は自然界から捕まえてきた、いわゆる荒鳥が始まりだろう。
そういった鳥は1世代だけでコンパニオンアニマルになれるのだろうか。

祖父の代から水族館生まれというイルカに会ったことが有る。
その子はプールの中で実にのびのびしていて、QOLも高そうだった。親もその親も外を知らないのだからさもありなん。

鳥はしばしば自然界で捕獲されてペットショップで販売されている。
もしかすると生涯コンパニオンアニマルにはならず、ずっと「閉じ込められた野生の鳥」のままでいるのかもしれない。
これは悲しい。これはまずいと思う。

ただ、特にインコオウムに関しては在来種というのは日本にいないようだから、過去をさかのぼれば、どこかで誰かが荒鳥を捕獲してきたという始まりが有る。
実は文鳥だって外来種。

桜羅は完全にコンパニオンアニマルだが、ルーツを考えれば、少し胸が痛む。


動物園では今盛んにハズバンダリートレーニングという言葉が用いられている。
主に健康管理のために、クリッカートレーニングなどによって望ましい行動を強化するという考えだ。

でもそれ以上に価値が有るのは、それが動物たちにとってヒトとの相互コミュニケーションになりえるということだ。
頭を使い正解を考え、それにクリッカーが鳴る。クリッカーの音は二次強化子。そして二次強化子には一次強化子を上回る喜びが有ると最近の研究で分かっている。

動物がクリッカートレーニングを楽しみにしている。
こうなるともう、たとえそれが動物園の展示動物だとしてもコンパニオンアニマルというジャンルに入るのではないかと思う。


とっ散らかった文章になってしまったが、犬だけではなく、それ以外の人とかかわるすべての動物がより高いQOLで過ごせることを願ってやまない。

生きていれば16歳

1月15日は先代のノイの命日です。生きていれば16歳。老犬になったノイの介護をしたかったなぁって、それはそれで大変でしょうが、ちょっと思ってしまいます。

一生懸命向き合って毎日暮らしていましたが、今思い返せば空回りやすれ違いも多かったノイとの生活。

まったりゆったり付き合っているルフトとどっちが幸せなんだろうって、いまだに答えの出ない疑問が浮かびます。

ほんとにいろいろやりました。毎日トレーニングもしていた。ノイはうんざりしていたことでしょう。

退屈とうんざり、どっちがいいんだろう。


最初はなにもわからなくて、片っぱしから情報を集め、少しでも詳しい人に会うと根掘り葉掘り質問していたあの頃。

やっとと言うか、遂にたどりついたテリー・ライアンさん。

思い切ってワンデーワークショップに参加したのはノイがまだ1歳のころ。時期は今頃だったような。非常に寒い時期でした。
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外のトレーニングは初めて。そしてクレートにもあまり入れた経験がないまま参加したワークショップは散々なものでした。

「おやつ食べません」って主催者に言ったら、ゆでたレバーを持ってきて、それを使ったら集中が取れました。
でも非常に不安な中で出された非常においしそうな食べ物という状況は、とてもじゃないですが冷静さを保つことはできませんでした。
ノイには相当なストレスだったと思います。

ゴメンネ

犬にやさしい人道的なトレーニングを目指していたのに、かなり無理をかけていたと思います。

あれからずっと犬の勉強をしています。

ノイともその後、しつこいトレーニングの結果でもありますが、JKCの訓練競技会で理事長賞をいただくほどの成果を出せるようになりました。

ノイはもうただ淡々と仕事をこなすように、私の指示に従っていました。

幸せだったのかな。


一昨日ノイが夢の中に出てきました。

「ボクの命日忘れてるんじゃない?」

そう言われているようでびっくり。
忘れてはいなかったんだけど・・・・。

夢の中でも会えてうれしかったです。

そりゃルフトはかわいいんだけど、そして大好きなんだけど、

ノイは私にとって運命を左右するほどに、特別な相棒でした。

年末年始の恒例

毎年恒例、ルフトと近くの広場を散歩しました。この数年、お預かりの犬が一緒というパターンでしたが、今年はルフトだけ。(文鳥の桜羅が初帰省でしたが)

寒い夜にこの広場に来ると、先代のノイと毎晩練習してした時期を思い出します。
どんなに遅く帰っても毎日2、3時間練習してました。いま思うとさすがにやりすぎ。反省してます。犬のことに夢中でした。


ルフトとは、かる~くお散歩するだけ。あっさりしすぎかも。

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ルフトとは特別に何かをするというより、できるだけいつも一緒に居たい、いてあげたいと思っています。

犬が本当にヒトに求めているのはなんなんだろう?

永遠のテーマです。

今年もずっと犬の心を探る旅、続けます。
プロフィール

のいぱぱ

Author:のいぱぱ
やっぱりサモエドが大好きです。
抜け毛がものすごくても、頑固でマイペースでも・・・。
運命の出会いで一緒に暮らすことになったルフトと、最新の科学的な理論をバックボーンに信頼関係を楽しく築いて行きたいと思います。

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